Origin of ceramic pots
THE SUCCULENTIST®︎として、陶器の植木鉢を作るとしたら? どんなものをつくるだろうか。それを考えたことがないわけはない。
まずは、自身のカルチャーが根ざす原点から始めたい。プラ鉢よりも、陶器製の植木鉢が馴染み深いものだ。植物を大事に思うほど、思い入れが増すほど、プラ鉢では満足できない瞬間がやってくる。
植物を愛するものとして、大きな関心事は、ほとんど、いかによくつくる(栽培する)かにあるだろう。
今からすると不思議なことを言うようだけれど、プラスチック製の植木鉢は、今では、当たり前のものだけれど、趣味家の間では、当たり前ではない時代があった。これだけ普及する前の時代があった。その時に主体であったのは、当然焼き物の陶器製の植木鉢である。帯付きの素焼きや駄温鉢はもちろん、
優れた名建築のように、自然と居心地良く、それ自体美しいものであるような。それは衣服においても例えられるかもしれない。事実、限られた空間を作って強いる植木という文化において、植木鉢がただの装飾ではないことは明らかだ。
それは、”生産”とは一線をかくしている部分だろう。
原点として思い出すもの、それが、常滑のウ泥(ウデイ)鉢だ。実際、私の温室の裏や、家のそこかしこには、この常滑のウ泥鉢が積み上がっている。山野草や、サボテンの界隈では、とりわけ関西では広く使われていたものだったのである。ウデイやシュデイ、リムやテーパーの広がりなど形にも微妙な違いのあるものが見られた。当時は色々な窯で製造されていたのだろう。当時は、古銭のように縄で縛られて売られていたのが、いつの間にか見かけなくなっていった。すでにある程度の数を持っていて、また使いまわすものであるから、手元には十分に回っているのだが。製造中止の知らせを聞いた時には、驚き奔走して、かき集めたものだった。
いわばプラスチックの植木鉢のようなものと言っていい。愛着があるのであった。安物ではなく、とはいえ、決して襟を立ち上げたような飾り立てたものでもない。そのミドルにある、不思議な存在感をもつ植木鉢なのだった。
これが私にとっての植木鉢というものの原点であり、それだけに、製造中止という知らせを残念に思いながら、いつか復活させられたらと思っていた。
デザインに重きを置いた植木鉢の中では、異色なものであった。
シンプルにして上質な、そういうものが欲しいという気持ちは確かにあるだろう。
いかにシンメトリカルに、ブレなく、正中軸を通して植え込むかという美学があった。整った美しさがあるのだった。
ヨーロッパで見た、スクエアという原点とはまた違うものである。
景色を作るというよりも、スペシメン、標本の管理という意味合いが大きい。むしろ正中を掴んで、いかにシンメトリカルに植え込むか、それに徹してきた。少しの歪みも、恥であるし、チクショウと悪態を打つほどだ。
山野草の世界というのも、栽培に異様にこだわる世界であり、
ほとんどの多肉の栽培においては、乾きの良い、水捌けの良い粒状土を使うので、植木鉢まで水捌けの良い素焼き鉢を
植木鉢の選択は、植物を嗜むものなら、当然使い分けがる。
植物を健康に育てる一助であり、それを引き立てるものでありたい。
THE SUCCULENTIST®︎として、さらに先立っていうならば、景色をつくることにおいて、より広がりを持った
家であり、衣服であり、ヒトにとってのそれ以上のものであると言っていい。
そういう時代を経て、この数年来の植木鉢全盛の往来を経験したものの?決してなびくものはないのだった。それは、事実。デザインのための衣装ではなく、どこまでも植物に寄り添うところから発するデザイン、
単なるリプロダクションではない、ものづくりとして、決して単なるリプロダクションには止まらない。植物にどこまでも寄り添い、発見したモチーフをプロダクトに落とし込む。THE SUCCULENTIST®︎としての植木鉢を作り続けたい。
今では、製造しているところはなく、out of production(絶版)となってしまったのだった。今まで当たり前にあったものがなくなると共に、新しいものがやってくる。それは、昔あったものを忘れてしまうのは違う。
スクエアによりウエイトを置いていることは、よくご存知だと思うが、それは私自身にとっても、まだまだ探求すべきものがたくさんあるからだ。角鉢は、なるほど好きだし、
“境界”を作ることを考えてきた。その境界は、そのまま接続でもある。
実現したい、植木鉢、景色を作るための植木鉢、今ここではない、遙かなる自生地と繋がるための、植物の不思議を探求するための、そして、いよいよ美しい、そんな植木鉢を考えている。
さまざまな文化を、体現していきたいものだ。
シーズナルではなく、トラディショナルベーシックとして、製作とオファーを続けていきたい。
水の吸い付き、
常滑のウ泥鉢というのは、烏(カラス)の羽色のような黒色ではなく、どちらかといえば、茶色と赤みが混じったような色をしている。泥が緻密で、落ち着いた艶感がある。キュウスの有名な常滑の独特なきめ細かい泥で、滑りがあり、それ自体ほとんど水を吸うことはない。
焼き締めの繊細なざらつきを持った、長く使える強度と
工業的に大量生産のシステムを持つ常滑製の植木鉢。決して高価なものではないが、
堅く焼き締められた、使用感、
完全な黒は、むしろ
釉薬を使わず、硬質な焼き締めは、上質な呼吸感のある植木鉢である。
サナというのは、鉢底の穴を防ぐための覆いである。楽焼などの古典園芸で、古くより使われるもので、贅沢に感じられるものである。一般には、割れた鉢のかけら(ガラ)や、今の人は底網を使うのが一般的だろうか。ガラなどを重ねてその代わりに使うが、日本の園芸文化が持つ、色気をこうした道具に感じてもらいたいと思う。
鉢底網は、便利ではあるけれども、植え込む植物によっては、根が噛んでしまい、植え替えの際に切らなければならないことを嫌う。