The legends


ballyi、lavrani、suzzannae、laui….etc…。数え上げればきりがないレジェンドたちに捧げられた学名。バリーやハリー、ラブラニーという名前は、学名の中でもより特別な響きをもって耳に飛び込んで象徴的なインプレッションを与えてくる。植物の発見の裏に隠れた先人たちのヒストリーに、うやうやしく思い馳せたい。もう亡くなってしまったレジェンドたちには想像で、まだ生きている人には旅をして会いに行こう。


バリー meets バリー!


 まず初回は、P.R.O. Ballyから。plants Indexのページを書くのに、東アフリカの多肉植物について調べ出せば、彼の無数の発見、功績に足を止めずにはいられない。CSSAのwebページでChack Staples氏によって、バリーのバイオグラフィーが簡潔にスケッチされていた。まずは彼の人生をラフに辿ってみよう。

バリーは、1895年5月9日、スイス シェーネンヴェルト(Schönenwerd, Switzerland)に生まれた。化学を専攻し、1923, 1924年、アルバニアとボンベイで、国連のためにマラリアの解毒剤の研究に携わっていた。その後1930年まで、タンザニアのオイルカンパニーで化学者として在籍し、タンザニアの薬/毒になる植物について研究した。彼の興味は、特に東アフリカの乾燥地に生息する多肉植物に向かっていき、1938年には、ケニアの首都ナイロビにあるCoryndon Museumのハーバリウムで、政府お抱えの植物学者として働くまでになっていた。
 ナイロビの郊外に3エーカー半の野地を購入して、整地し、家を建てた。現地で採集してきた様々なるもの(小さな挿し木から、大きな木まで)を庭に植えていった。彼の庭は、すべて東アフリカに固有の植物で埋められていた。1943年まで、エリトリアから、エチオピア、ソマリアに渡る長い調査を行ない、Gilbert Westacott reynolds博士(1895~1967)が彼の著書’The Aloe s of Tropical Africa’を出版するにあたってのアロエ調査にも同行した。

1957年、60歳を過ぎたバリーは一度ヨーロッパに戻り、フランスのCedres植物園において少しの期間、Marnier-Lapostolle博士のコレクション整理研究に携わり、その後はスイス ジェノバにある植物園の標本室で12年にわたって仕事を続けた。
 1969年、74歳でナイロビに戻った彼は、植物園(現在の”East African Herbarium”, 700,000本以上の標本と、付随するフィールドノートをコレクションしている。)に通い通いしつつ、晩年まで自身の興味関心の湧くところに向かって邁進したのだった。

バリーは、AloeやEuphorbiaにその名前を冠している。彼に捧げられた名前としては、以下の種類があるという。
●Adenia ballyi
Aloe ballyi
Ceropegia ballyana
Euphorbia ballyi
Euphorbia ballyana
Euphorbia proballyana
Karanchoe ballyi
Sansevieria ballyi
Stapeliopsis(Echidnopsis) ballyi

なるほど、うちではAdenia ballyiとEuphorbia ballyiしか持ってないなあ。これは他のバリーシリーズも欲しくなるね。<<追記; いまふと思い出したけど、そういえばEchidnopsis ballyiも昔育ててた。枝も花も一風変わった雰囲気のエキドだね。また挑戦しよう。>> ちなみにだけれども、学名に人命を冠する場合、植物の業界では、自分で自分の名前をつけるっていうのはダサい、とされている。特に規約でbannされているわけではないけど、それやっちゃうのはどうなのっていう、美徳?みたいな習慣がある。誰かに捧げてもらわなくちゃ、いけない。
彼自身は、以下もっと多くの種類で記載を残している。
AloeCarallumaCeropegiaEchidnopsisEuphorbiaLithocaulonMonadeniumPseudolithos, Rhytidocaulon
SansevieriaSenecio and Stapelia
特にユーホ、モナデについては、沢山の種類を記載している。..でも、モナデニウムにはバリーの名前を冠した種がないんだね。下にも書いてあるけど、バリーは、モナデニウムのモノグラフを書いているぐらいで、モナデの印象が強かったから、意外だな。

彼は、当時あまり知られていなかった地域、ケニア、タンザニア、エリトリア、エチオピア、ソマリア、マダガスカル、ガーナ、ナイジェリアなど多くの土地へ調査へ出かけた。植物画家としても知られるバリーは、1961年、’The Genus Monadenium’を出版した。彼の27年に渡る研究の集大成である。1934年、彼が初めて発見したモナデは、1959年自身によって記載したM. schubei var formosumだという。彼は描画や水彩による植物画をFlowering Plant of Africa(South African National Biodiversity Institute in Pretoriaのジャーナル)にも多く寄せている。

疑いもなく、バリーは東アフリカ産多肉植物の権威と呼べる人であり、特にユーホルビア類やスタペリア類に関しては専門である。彼は世界中のジャーナルに記事を書いている。East African Natural Historical Society in Nairobi, Kenyaの機関紙の名は、”Ballya”といい、もちろん彼に捧げられたものだ。

1953年、彼はInternational Organization for Succulent Plant Study (IOS) に所属した。アフリカの多肉植物への献身的調査と絶滅危惧種の保護、Monadeniumのモノグラフの出版などの功績を讃えられ、一流の植物人として1975年にはCSSA Fellow award受賞。1973年、78歳のときスイスバーゼル大学から名誉学位を贈られ、1980年7月26日、85歳にして心筋梗塞でこの世を去った。



<<.. to be continued. will update soon.>>
<<徐々に更新追記。>>