Story of the Surface Sand
This page is written in Japanese.
English version of “Story of the Surface Sand” is here. Enjoy the story.
photos ©︎Etwin Aslander/Amante Darmanin
Prologue of Habitat Series
こういう景色をたくさん夢見て来た。自分の温室で過ごす時、世界中から集められた多肉植物をみるたび、意識は現地を歩いていた。Euphorbia Journalをはじめとした、様々な古典をひらくたび頭に刷り込まれる原産地の風景。石英の散らばる平原に生える数々のメセン、クラッスラ、塊根にまでしみついたケニヤの赤土に埋もれたケニヤのアデニウム。岸壁に半ば、埋もれ、張り付いたような菊水、岩の隙間にミチミチに生えもはや四角くなりつつあるブロスフェルディア…、ヒビ割れた泥にうずもれたロホホラや、平坦に絵画のようになってしまった姫牡丹。雨後水たまりに沈んだコノフィツム、凹むほど艶っぽく丸まったクラッスラ。
原産地に特有の艶やかさ、驚くほどの平坦さ。
ほんのスプーン一杯の土壌しかない岩のすきまに
間延びせず、かといって縮むでもなく、艶やかでありながら締まった姿
日本での栽培を突き詰めるほど、原産地の不思議は浮き彫りになっていく。日本で慣例的に使われる赤玉や鹿沼のような粒状土とは、全く違う性質、物理性がそこにはあるようだ。少し試してみればわかるが、姫牡丹にしてもこんな泥に埋もれて、どうやって彼らはいきていけるというのか、相当な水分ストレスであることは容易に想像できる。だが、彼らはそこで美しく育っている。そこに秘密があるに違いない。僕自身、赤玉や鹿沼、軽石を用いての用土研究は突き詰めて来た。ただ、こういう原産地のもつ不思議というのは、どうやらその延長線上には、ないようなのだ。どんなに加速しても、たどり着けない領域が、自然にはあった。早く、大きく、美しくつくるのとはまたちがう、別の方向性。そういう自然の不思議に迫ろうと、栽培と、原産地をつなぐシリーズ。それがHabitat Seriesと呼ぶもの。
photos ©︎Florent Grenier
Habitat Seriesにおいて、核心部分となる、探求すべき部分、それは土。これを探求していくのが、Surface Sandというものです。多肉植物は、世界中に分布し、様々な環境で生息している。当然生えている様子や環境気候、そして土壌も多様だ。シリーズのサンプルをつくる時には、海外から実際に資材を導入したり、友人たちに実物を少しだけ送ってもらったりもする。ごく一部の、特殊な栽培をする海外の趣味家たちとの出会いも大きい。旅をして得られたインスピレーション。
Surface Sand 01, motif of quartz-field in South Africa-Namibia
今回オファーするSurface Sandの第一弾は、南ア西部~ナミビアにかけての石英平原をモチーフにしたもの。多肉を愛するものなら、思い馳せたことのない人はいないだろう。聖地とよべる場所だ。ケープ、ナマクアランド、ナミビア..、そこは、我々を魅きつけてやまない数多くの生きた宝石を育む大地。キャラメリゼされたような、ざらめ砂糖を敷き詰めたような石英平原。そこには、Tylecodon, Othonna, Crassula, Pelargonium, Conophytum, Lithops, ありとあらゆるA to Zのメセン、そして多様な球根種が育まれている。憧れの土地だ。この石英平原は、表土数センチでわずかな水をもとらえて、様々な生きた宝石を育んでいる。
日本での栽培をしながら、こうした南アの風景を思うたび、芽生える大きな疑問、不思議があった。下の写真には、コノフィツム コンプトニーの親球と、傍に生えた1mmほどの芽生えがいくつか写っている。そこに自然に分布、生息自生しているわけで、原産地でこうして世代の更新が起きていることは当たり前なのだが、これが実に当たり前ではないのだ。こうして、成球と、1mmの芽生えが乾燥を生き延びて成熟しうる土壌。これは日本で一般に使われる赤玉や鹿沼のような粒土では、起き得ない。この不思議に迫ることが、Habitat Seriesをはじめるきっかけであり、その成果としてここにオファーするのが、今回のSurface Sand 01だ。
photos ©︎Florent Grenier
一見こういう風なザラメのような”化粧石”を探してくることはできる。熱帯魚の底砂のようなものは見た目も綺麗だし、なかなか上等だ。しかし、あれはあくまで化粧”石”、引いてしまえば、鉢内の土の渇き具合はまるで見えなくなる。富士砂で表土を真っ黒にしているのをよく見るが、化粧石は、それ自体吸水性のない石片、であることが普通で、水をあげれば多少の色の変化はあるが、いずれすぐに乾く。あれでは乾いた化粧石の下で、用土が濡れているのか乾いているのかが全く見えないのである。鉢内の水分の多少を反映しないわけだ。これは、とても栽培しづらい。そもそもこういった整備された石では、透水性はザルのようで、雨後、水溜りのようにはなりえない。保水力は0であるし、これでは、表土で実生は育まれようがない。S,M,Lといったふるわれた人間の尺度ではなく、もう少し想像力を傾けて、自然の尺度に迫ってみよう。
こうしたざらめのような南ア西部の平原の多くは、硬い石英岩でできている。このガラスのように硬い石英も、永い年月で風化し屑になり、細かい粒や微塵となって大地を覆っている。想像に難くないが、原産地を覆う土は、SMLといった風に振るわれたようなサイズのそろったものであるはずがない。風土で侵食され風化した石英層は、礫や、微塵となり、様々なサイズの粒が混じり合って土壌を構成している。そこにはもちろん、園芸的には破棄されるような細かな粒や、微塵もが、混じり合っている。そうであるからこそ、雨後、水溜りのようになる風景が生まれるのだ。一般的に、微塵というものを栽培家は嫌う。目詰まりを起こし、根腐れを引き起こすから当然だ。”微塵”というのは、非常に細かなサイズの粒子をさすわけだが、結晶自体の構造から、泥性のものと、砂性のものがある。赤玉や鹿沼の袋にたまって嫌われている微塵は、泥性のもので、結晶構造自体にミクロな吸水構造があり、それ自体保水し、必要以上に水を持ってしまう。これは、多肉植物の栽培においては根腐れを引き起こしかねない。
その一方で、こうした南ア西部の平原の多くは、硬い石英岩でできている。ガラスが水をはじくがごとく、石英はその粒子自体に吸水性はほとんどない。それは微塵のように細かくなっても同じである。ただし、粒子がごく小さくなることで、粒子自体の給水力とは別の保水力が生まれる。それが、物理的な、毛細管現象だ。細かな石英質の微塵は、これによって、粒と粒の間に水を捉えている。こうした土壌では、多くの雨が一度機に降ると、目が詰まっているから一度は水がたまるが、次第にじんわりとゆっくりと、重力に引かれてしみ込んでいく。タオルが水を吸うように、この微塵がわずかな霧雨をもとらえて、生活圏である表土数センチを潤し、小さな実生を育むのである。感動的な事実だ。
photos ©︎Etwin Aslander
こんな風に、南アの植物に、風景に、想い馳せながら、精確な想像力で土の物理性を探求して作り上げたのが、今回オファーするSurface Sand 01。まずはSurface Sand 01の元となる原土があるわけですが、そのままでは、微塵が多すぎたり、大粒が浮きすぎたりで掘る場所や時々によって、毎回様子も違ってくる。これでは使い物にならないので、まずは原土をふるいにかけて、粒の大きさに分けていくところからはじめる。微塵から、細々粒、細粒、小粒、中粒、大粒、礫…という塩梅だ。ここから、微塵を基礎に、様々な配合を試していった。Surface Sandのひとつ大事な特徴、忘れてはならないコンセプトとして、”自然である”ということがある。先にも少し書いたが、一般に使われている化粧石というものが、いかにも”人工的”に見えるのは、粒が揃いすぎているからだ。自然界では、同じサイズのものばかりが揃ってあるというようなことはありえない。大小が妙に入り混じった”ランダム”さこそが自然な風景なのである。Surface Sandでは、このランダムさを大事に、丁寧に構成することにもこだわって、”人工”を消し去っている。そういった風に、先にふるい分けたそれぞれのサイズの粒をもう一度再調合してゆくのだが、様々な配合比率を試していく中で、もっとも自然に見える様々な大小の粒、そしてSurface sandの機能的核心部分でもある砂質の微塵が絶妙に混じり合った配合比を探求していった。そうして見つけた黄金比率で、Surface Sandは、でき上がっています。パッケージは、口付きスタンドパウチにパッケージされています。これなら、ベランダでも無駄な場所を取らず、不意にこぼしてしまうこともなく、また鉢に直接狙って注ぎ込むことができるようにデザインされています。
“Habitat is the fountain of my inspiration and the climax of my ideals. “
“自然は、私にとって想像の源泉であり、理想の究極である。”
photos ©︎J.A. Audissou/Giovanna Anceschi & Alberto Magli/Peyote.mx
こうした南アの石英平原のほかにも、フォローしたいと思う特殊な原産地風景というものはもちろんある。赤い砂に覆われたナミブ砂漠に生えるサルコカウロンや、白くヒビ割れた泥に埋まった烏羽玉や姫牡丹、真っ白な砂に覆われたディスコカクタス…….、いずれ聖地巡礼へと向かうと思う、それだけ自然のつくる風景は、素晴らしい。トライしてみたいし、実際Surface Sandでは様々な色味や素材のシリーズを研究中だ。そういう資材の多様性が増すことは、園芸の醍醐味だし、エポックな素晴らしさがあると思う。ただ、Habitat Seriesにおいて、実際にそういう風景が存在するかどうか、ということは、あまり重要ではないと思っている。実際に存在する風景はもちろん、ありえたかもしれない風景を作ればいいのです。Habitat Sereisの本質は、自分の想像力を高めて、原産地に思い馳せる、という行為そのものであり、ありものの”再現”ではないということです。その現地へむかう”即興的な”時間が、また、植物への興味、好奇心を強めてくれるだろう。どこまでいっても、自然の前には無知に等しく、実際はこうだ、こうではない、という中途半端な識者に教えられた結果だけでなく、自分自身による想像と試行錯誤の道程こそが、園芸の楽しみというものではないでしょうか。ひいては、原産地に思い馳せ、調べたりするその好奇心は、いずれ我々を原産地へと誘うでしょう。現地とここをつなぐもの。それがHabitat Series.
是非一度、まずはお試しに。1袋1000円のオファーになります。
みなさま。
沢山のご注文をいただきありがとうございます。
お手元に届いた方々のIGポストで #surfacesand や#habitatseriesのタグを見つけては、喜んでおります。
一人でも多くの方にSurface Sandの楽しみを共有できますことを。
河野 The Succulentist
-Fin-